自分の事で

いっぱいいっぱいで、結婚とは何か書きたかったのですが、とても言えた立場じゃないなぁとつくづく思うのです。

祝福家庭と言えど、完璧で、結婚したから良い人間になれるというわけではありません。

真のご父母様、神様からすればまだ祝福家庭と名乗ることはできないほど恥ずかしい身分です。

逆に言えば、私達は努力するために結婚をしたのであって決して結婚がゴールだとは考えてません。

相手の足りない部分、自分の足りない部分を補い合う為に、ひたすら努力を惜しまない。

全てが自分に合った相手、気に入った相手と結婚するのがこの世の中では当たり前の様ですが、祝福結婚はそれだけではうまくいかないような気がします。

今は、祝福を受けるのも御父母様が直接お決めになるというのは減りましたが、それでも神様を中心とした結婚には変わりありません。

霊界に行っても永遠に一つになれる、この世界を本当の意味で平和にできる唯一の方法です。

先祖が因縁で結ばれた民族、国家を超えて結婚をするのです。

では、自分の好きな相手とは結婚できないの?

いいえ、それは自分自身が最終的には決める事なので一概には言えません。

既成祝福というのもあって、すでに一般の結婚をされた方も祝福を受けることはできます。

人生において、何事も自分次第と考えられる人は、より良いお相手が見つかる気がします。

反対に養ってもらおう、相手に何かを求めるばかりではこの世の中の結婚であっても上手くいかないのではないでしょうか?

結婚は覚悟と誰かが言っていましたが、為に生きる祝福家庭ならばそれも当てはまるかなぁと思います。

神様を喜ばせる為に私達人間は生きています。

まずは結婚を堅いものとしてだけ捉えるのではなく、広い意味で、世界を平和にするために、

もっと身近に言えば、自分を成長させる為に考えるのも良いのではないでしょうか。


苦労が多いほど、見える景色は素晴らしいと言います。

平坦な景色なんて見てても楽しくないですものね。

私事ですが

家庭連合では、一時期、献身者でもありました。

この世の中的な言い方では、幹部?いえいえそんな役職に就いていたとかではなく、み旨の為に仕事も辞めて一心不乱に活動していました。


でも過去どんなことをしていたか、どんな役職についていたかなんて、関係ありません。


今、私は神様、御父母様の為に生きているか?それに尽きると思います。


確かに苦しいこともありました。

だけど、私にはそれ以上に色々な人との出会い、奇跡のような、思い出しただけで涙するような出会いもたくさんあります。


だから苦しかったとは考えたくない。

家庭連合、神様、御父母様に出逢えたからこその人生。

そうでない人生なんて、今では考えられません。


私は今幸せです。

家族にも感謝。全ての出逢えた人々に感謝です。


って日々の目まぐるしい生活で、忘れることもあるのですが。。

人を変えるのではなく

自分が変わろう

そうでありたい

なかなか難しいことではありますね。

人を批判したくなります。

自分を正当化したくなります。

自分はこんなに頑張ってるんだよと。


神様はこの地上にいる誰よりも苦労されました。

そのことを考えたとき、自分を弁護できる人など1人もいないのです。


そうはわかっていても、昨今はSNSなどが流行っていますが、何か寂しいなぁ、受け身だなぁと感じる場面が増えています。


私達は認めてもらう立場ではなく、人を認められる人間にならなくては。


もちろん人として認められる事は大切です。

まずは与えること。


それが出来てこそ、本当に信頼に値する人になれるのだと思います。